キラキラリーグは会社設立11周年を迎えました!ここに至るまでの光と影も正直ぶっちゃけちゃいます!

目次

キラキラリーグは会社設立11周年を迎えました!ここに至るまでの光と影も正直ぶっちゃけちゃいます!

キラキラリーグ代表取締役の平舘美木です。本日4月23日は、弊社キラキラリーグの会社設立記念日です。今年で11周年を迎えました。
これも、ひとえに、皆様方のお陰です。ありがとうございます。

11年て、長いようであっという間だった気がします。

私は、20代後半でフリーランスとして独立し、その数年後に起業しました。
そのあと、雇われ社長も経験し、今のキラキラリーグを起業しました。
人生の大半、自身でビジネスを構築し、稼ぐ、といったことをやってきたので、会社員時代は、もう、前世の記憶くらい遠い昔のことのようです。

よくもまあ、何十年も組織に所属せず、そうやって生きてきたものだと思いますが、自分の得意なことを理解していれば、どんな人であっても独立しても、やっていけると思いますよ。

最初の起業で経験した光と影



私が自分で起業した会社は、このキラキラリーグで2社目です。
最初に起業した会社は、私自身の中に実現したいビジネスモデルがあり、それを実現するために小っちゃく起業したのですが、起業2年目くらいからマスコミに取り上げられるようになり、途中から数千万という大きな投資が入り、あれよあれよと事業が拡大していきました。

気づけば、自分より年上の、他社で社長経験もある家族を養う男性社員をも雇うなど、途中から、とても責任ある立場になっていきました。
普通に考えれば、とても喜ばしい状況です。

当時やりたいことをどんどん実現はしていましたが、ある時から、自分の立場がとても不自由に感じたのです。

やりたいことを自由な立場で実現していくために起業したはずなのに、いつしか、投資家に報い、何人もの社員を養っていく立場となり、大好きな企画立案の仕事をしながらも、同時に起業当初とは違う重い責任を背負うようになっていたのです。

仕事はものすごく忙しく、私は、8年間で3回しか3日間以上連続した休暇を取れませんでした。
年末年始も、お盆も、夏休みも、GWも、もちろん毎週末も祝日も、ずっとずっと働いていたのです。
プライベートな時間は全くなかったです。友人と遊ぶとか、ほとんどできませんでした。全て仕事での付き合いやクライアントが来社するアポでスケジュールは真っ黒に埋まってしまいます。

当時の私の手帳は、私の手帳でありながら、社内でオープンになっていて、社員が、空いているスケジュールを見て、そこに、担当クライアント案件でのアポ等、私のスケジュールを書き込んでいくようになっていました。サロンのクライアント内覧、プレゼン、メディア取材、講演、その他経営関連の税理士やWEB制作関連企業、投資家とのアポなど、あっという間に何か月先までも埋まっていく。

毎日深夜2時過ぎくらいまで仕事をしていました
会社近くに住み、朝の準備をしたら家の前からタクシーを拾い会社へ。電車すら、あまり乗らない日々。クライアントは、ほとんど弊社側での打ち合わせに来るので、自分が電車に乗ることすらあまりなかった。毎日、家と会社の往復がほとんどでした。

たまたまスケジュールが空いた週末の時間は、美容院に行き、1週間分の買い物に行き、犬のトリミングに行き、ネイルサロンに行き、深夜までやっているアロマエステに駆け込み疲れを取った後、またタクシーで家まで帰り寝る、みたいな生活(笑)

たまたま空く時間は、生活で必要な用事でもう終わってしまう。それ以外の休日は、会員限定のサロンを自社で運営していたので、サロンイベントや5000人いる会員対応や企画、原稿執筆や企画書作成などの仕事やメディア取材対応などがぎっしり詰まっていたのです。

友人たちは、気をきかせて、数年に1回くらいの頻度で私と会う日は、こちらにスケジュールを合わせてくれ、さらに、今回美木ちゃんと会うよと、次いつ会えるかわからないよ、と、他の友人にも声かけてくれていた(笑)

なぜ、そんな状況になったのかというと、以前起業したビジネスモデルは、企画立案を全部自身が行うようなビジネスモデルで、尚且つ、コミュニティ運営やメディア対応も、全て自分がやらなければならないような状況だったからです。起業時に自身のキャラを立てすぎたんです(笑)
私カラーが強すぎで、他の誰かが代わりにできる事業ではなかった。なので、自分がやるしかない状況に陥っていました。

そんなビジネスモデルでも、社員2名くらいの規模で、自分の資本だけでやっているうちは、スケジュールのコントロールはある程度できましたが、資本金を5000万円に増資し、社員やバイトをどんどん雇い、移転した青山通り沿いのデザイナーズビルの家賃も光熱費も半端なく高く、もう、会社の維持コストがすごくかかるようになったので、私が立ち止まれば、会社もそう長くない期間できっと終わる(笑)

もう、どうにも、こうにも、私が休めない状況になっていたのです。
結局私は、8年後、あまりの長年のハードワークで倒れましたけどね(笑)
経営を投資家とその友人が見ていたのですが、今思えば、これは、見れているとは言えないですね。だって私が倒れるまで無理して働くことをさせてしまっていたのですから。
今、客観的に見れば、ビジネスモデルの転換など、いくらでもできたはずです。
でも、当時の私は、それを考える時間すら全くなかったのです。

結局、ある日私が倒れて、静養することになり、社長を辞任し、投資家に会社の株などを全て渡し、当時のビジネスモデルをやめる、ってとこで、この地獄のような忙しさの日々が一旦終焉したのです。

マスコミに出まくり、自身の事業には有名企業のクライアントを多数抱え、青山通り沿いのデザイナーズビルで事業をし、毎日、南青山のマンションから犬を連れてタクシーで出勤する30代半ばの女社長。

一見、華やかに見えますが、まああああああ、大変でした。地獄だなって思ったこともあった(笑)

だから、華やかに活躍している社長を見ると、見た目と内情はたぶん、違うだろうなと思ってしまう。たぶん、光だけじゃなくて、必ず影もあるはずです。

多忙で倒れそうな時、ノートの端に書いた妄想会社の社名”キラキラリーグ”

そんなハードな毎日を過ごしていたある日、社長席に座り、私は、コーヒーを飲み、しばし、休憩しながら、こんなことを考えていたのです。

私は、ワクワクすることが好きだ。
私は、企画立案が得意だし、今の仕事は大好きな仕事だ。
私は、脚本学校に通っていたくらいなので、ビジネスやブランド構築などにおいて、顧客を巻き込むストーリーを書くのが得意だ。実際にこの事業もそうして始まったのだ。


大手有名メーカーをクライアントに持ちたい!
大手広告代理店と取引したい!
ビジネス書を「姫様商売」ってタイトルで堅い出版社から出版したい!
カリスマOLのカリスマになり、女性コミュニティを率いて大手WEB媒体に並ぶくらいのメジャーな女性コミュニティサイトにしたい!そして参加する女性たちを私の企画でワクワクさせ楽しませたい!
大学で講義をしてみたい!
講演講師をしてみたい!
クチコミでムーブメントを起こしたい!

ヒット商品の開発に関わりたい!
ビジネスモデルや自身が起こす社会現象でWBSに出たい!テレビで特集されたい!

海外メディアに、日本には、こんな面白い発想ができる社長がいるとかで紹介されたい!
青山に会員制のお城のような新商品のお試しサロンをオープンしたい!

青山のマンションに住みたい!そして平日の朝に表参道をジョギングし明治神宮まで通いたい!

そんなことを夢に思い描きながらした起業した。


でも、そのとき、それが、全部叶っていた。


私は、叶えたかったこと、すでに、全部叶えてしまっている。
でも、とても私は、今の状況が窮屈だ。
望んだ状況を手にしているのに?なぜだろう?

じゃあ、もしも、今、神様が、何でも叶えてあげるよ、って言ったら、私は、この先は、どうしたいの?

そのとき心の中から出た答えは、こうだった。

いつか私は、この会社をある程度、手離れできるまでにしたら、また、自分サイズの小さな会社を起業したい。

今度は投資など入れない。

もしもまた起業したら、今度は会社は絶対に大きくはしない。
私の個人会社のような規模感の会社をつくろう。


そして、私が得意なことを、ワクワクすることを、苦しくならない程度にやろう。
何をやるか?

人をたくさん雇わないでできる、好きで得意なことをしよう。

商品開発の企画アドバイザー、PRの企画立案、コピーライター、CMプランニング、とか好きで得意なことだけしよう。

あとは好きな文章を書いていよう。

そうだ、企業だけじゃなくて、個人に対しても、その人の魅力や能力を引き出し、人生を輝かせるアドバイスとか教育とかもしよう。


マーケティングやブランディングなんかを簡単にかみ砕いて教えよう。

誰でもそのノウハウで自身の才能や得意なことで独立できたり、自由に生きられるようにしよう。

そして、私自身、自由に休め、自由に生きられる働き方をしよう。


もしも、そんな事業をすることができたら、次は、どんな社名にする?

そうだな、、、関わる人、みんなが輝き、どんどん派生していく感じがいいな。


私が、当時著書にサインで入れる言葉は、「人生キラキラだった。

好きな言葉は、キラキラだ。
見た目も中身も、魂も、人生も、ワクワクすることで、キラキラ輝かせたいよね。
自分の人生も、誰かの人生も、仕事を通じてキラキラ輝かせたい。

そうだ!キラキラリーグがいい!


ちょっとふざけた感じだけど、私らしい!私の会社っぽい!
ロゴには、魔法の杖を入れよう。
キラキラリーグにしよう!
いつか、キラキラリーグの社長になれますように!


そのとき、ノートの端に、キラキラリーグと走り書きをしながら、私は、ワクワクしていた。

掃除してたとき、古いノートの端切れに「キラキラリーグ」の走り書き発見!

それから私は、6年後くらいに、本当に、キラキラリーグを起業した。

2年ほど前に、古い資料などを整理していたら、1冊のノートが出てきた。
色々な事業構想などを私が書き込んでいたものだった。
パラパラめくっていたら、ページの端に、キラキラリーグ、株式会社キラキラリーグ、と走り書きがされているのを発見した。
あーーーー、あの時、私が、いつかまた起業したら、こんな会社を起業したいと妄想していた時に書いた走り書きだ!


今の私は、どうだろう?
この会社だって、紆余曲折いろいろあった。


だけど、一つ言えることは、あの時の私が感じた、窮屈さは一度も感じていない。
自由に、時代に合わせて、その時の出会いとひらめきで、事業内容も変えていった。
誰に相談するでもなく、自分の思うままに、自由に。

そして、あのとき思った、こんなことをしたい、っていうものの、ほとんどを、今、また叶えている。
そして今日、会社設立記念日に、また、コーヒーを飲みながら、考えている。
実際に今の自分の立場はどうか?

はっきり言って、超、しあわせです!

会社の規模を拡大すれば、起業家として完璧に幸せになれるわけではない。
それは、私自身が身をもって体験したことだ。

自分の能力を活かして、誰かや、企業を幸せにし、さらに、ここ大事なんだけど、自分自身も幸せにすることが、私にとっての事業での成功だ。

これから先も、キラキラリーグは、小っちゃな会社であり続け、時代の変化に柔軟に対応、意志決定できるようにしていこうと思う。

そして、得意なことを持つ、有能な人たちや企業と連携しながら、時には大きな事業にもチャレンジし、担っていこうと思っています。

さらには、今現在、得意なことを活かしきれていない人に学ぶ機会やビジネスを通して実力をつけていくチャンスを、事業を通して提供し、その人たちを育てサポートしながら、自身の事業でも一緒に組んでいこうと思っています。

あなたが、あなたらしく才能を発揮して、生きられるように!

企業が多くの顧客に喜ばれる商品やサービスを提供できるように!


地域が地域の良さをしっかり認識し、多くの人を惹きつけ、活性化できるように!

弊社はこれからも、”らしさ”を大切にしながら、前に進んでまいります。

皆様、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

2023年4月23日 会社設立11周年! 株式会社キラキラリーグ代表取締役平舘美木

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次